群馬を代表するパワースポットと言えば榛名神社ですね
(自分が大学生の頃は心霊スポットとして有名だったのですが)…… (;^_^A
皆さんは榛名神社行った事ありますか?
榛名神社の参道を散策すると、あちらこちらで七福神の像を見かけます
七福神……何か縁起が良さそうなので今回は七福神について書いてみたいと思います
室町時代、仏教の布袋、道教の福禄寿・寿老人なども中国から入ってきてそれぞれに知られるようになり、それらをまとめて七柱の神仏のセットができたのは室町時代末頃、近畿地方から始まったもののよです
この頃は銀閣寺に代表される東山文化の時代、中国の文化に影響され、大陸的な水墨画が多く描かれた
もてはやされた画題は『竹林七賢図』……この絵に見立てて、人々は別々に信仰されていた7つの福の神を集め、七福神としました
ただし、当初は必ずしもメンバーが一定していなかったようです
江戸時代にはほぼ現在の顔ぶれに定まったものの、その後もバリエーションが生み出されることがあったみたいです
七福神と呼ばれる神様たちは、現在の日本で最も人気のある神様かもしれません
七福神巡りは、昭和五十年代なかば(1978~1983年頃)に急にふえました
日本橋七福神などは、この時期につくられたものです
この頃から、一月一日から七日までの間に七福神を参拝する人が多く見られるようになりました
誰もが貧乏を嫌い、豊かな生活を望んで、七福神の神様たちにお願いをして歩くのです
日本が高度経済成長をとげていた時代には、日本人の八、九割が中流意識をもっていました
しかし高度経済成長が終わって先が見えない時代になり、その少し後に七福神巡りが流行しはじめたのです
元々七福神は、インド、中国、日本のきまざまな神様から成ります
日本では生まれも育ちも違う神様たちが、力を合わせて人びとに福を授けると考えられたのです
七福神の一つ一つの神様の性格や七福神信仰の歴史について説明していきましょう
それぞれの七福神の名前や意味を紹介してみたいと思います
弁財天は、七福神の中で、唯一の女神で、元はインド河(水)の神であったが、やがて音楽の神、言語の神となり日本に伝わった当初は、弁才天と呼ばれた
その後、財宝・芸術に関係深い吉祥天の性格が吸収され弁財天といわれるようになり、財宝を授けてくださる神へとなったものである
知恵財宝、愛嬌縁結びの徳があるといわれている