今や世界的自動車会社……トヨタ
元々は豊田織機が母体で世界を観てきた二代目豊田利三郎が自動車を作ろう決意するが…
その道のりは散々たるものでした
そして倒産の危機に陥った事もあるんですよ
東海地方は元来、旧東海銀行(現三菱東京UFJ銀行)の牙城だった
東海銀は強力な営業力を誇り、大きな存在感を示していた。トヨタが東海銀を支えてきたといっていい
トヨタの協力企業は東海銀から融資を受け、トヨタは東海銀と旧三井銀行(現三井住友銀行)の2行を優遇し、住友銀行とは絶対に取引をしなかった
これには理由がある
トヨタの歴代社長は、この仕打ちを決して忘れなかった
65年、トヨタは経営危機に瀕していたプリンス自動車の救済を、プリンスのメインバンクである住友銀の堀田庄三頭取から懇願された
トヨタの石田退三会長は「鍛冶屋の私どもでは不具合でしょうから」と堀田頭取の要請を拒絶した
トヨタと住友銀との取引が再開するのは、三井銀の後身のさくら銀行と住友銀が合併して三井住友銀行が発足してからだ
ただし、取引窓口は旧三井銀出身者に限っていた
三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)は、トヨタの倒産危機の時に再建案に消極的だったと伝えられている
最終的に再建案に同調するが、これがたたった
三菱銀行のトヨタとの取引は、海外決済などに限られていた時期が続いた
三菱銀行がトヨタと本格的に取引を始めるのは、旧三和銀行、旧東京三菱銀行との再編を経て、トヨタを主力取引先とする旧東海銀行が三菱東京UFJ銀行になってからだ
東海銀行は三和銀行と合併してUFJ銀行となり、東京三菱銀行と合併して三菱東京UFJ銀行が誕生した
しかし、三菱や住友という旧財閥のブランドが、東海地区の企業に受け入れられたとは言い難い
「三菱や住友は、いざとなったら頼りにならない」との評価が広がり、三井住友銀行や三菱東京UFJ銀行が苦戦する原因となっている
06年には東海銀行の系列信販であったセントラルファイナンスが三菱東京UFJ銀行グループから離脱し、三井住友フィナンシャルグループに移るという事件が起きた
名古屋の経済界は、この移籍を歓迎し、三菱に対する不信感の根深さを見せ付けた。東海地区では、トヨタの出資を得て、地元に密着した第二東海銀行を創設しようという動きがあった
トヨタに支えられ東海地区の経済が好調なことから、この動きは水面下に没しているが、景気が悪くなり、三菱東京UFJ銀行の貸し渋りが強まったりしたら、第二東海銀行設立の動きが再燃する可能性もある。
東海地方の金融再編は、トヨタにかかっているといっても過言ではない
域内で最大の岡崎信用金庫(愛知県岡崎市)を普通銀行に転換させて、第2地銀の名古屋銀行か愛知銀行と合併させて、地域の中核銀行として第二東海銀行を創設する案が一部メディアで報じられたことがある
名古屋銀行は第2地銀の雄であり、加藤千麿会長は創業者の一族。第2地銀のリーダーでもあり、このシナリオには乗らないだろう
岡崎信金の預金量は2.7兆円、愛知銀行は2.6兆円。合計すれば預金量は名古屋銀行(約3兆円)を超える約5兆円の上位地銀が誕生することになるが、この案が日の目を見る可能性は低いとみられている。
今や世界を代表する企業でさえ泥水を啜った時期はあったんです
でも、信念と理想があったからこそ現在のトヨタが存在するのです
君達も信念と志さえあれば一度や二度の挫折などで、心が折れてはいけません