最近、藤井聡太四段の活躍によりにわかに将棋ブームがやってきている
戦後の昭和にも将棋ブームがありました
その時の中心にいた人物は舛田 幸三でした
舛田 幸三は風貌もさることながら、発言や考え方も個性的でした
そして、数々の格言を残しました
その格言が実に素晴らしかったので、将棋界だけでなく、政界やスポーツ界などの有名人なども舛田を師事する人が多かった
受験生である君達にも心に響く格言があると思います
まずは舛田 幸三の人物像について書いてみたいと思います
「この幸三、名人に香車を引いて勝ったら大阪に行く」
舛田 幸三…14歳、将棋指しを目指して家を出たとき、母の使う物差しの裏に書いたとされる言葉である
そして広島市での飲食店やクリーニング店の丁稚奉公など紆余曲折を経て、大阪の木見金治郎八段の門下生となる
同門の先輩には大野源一、角田三男。そして後輩には、終生のライバル大山康晴がいる
初段でプロになるまで(当時のプロ棋士は初段からだった)が長かったが、初段になってからめきめきと頭角を現す
この頃、阪田三吉から指導を受け「あんたの将棋は大きな将棋や、木村義雄を倒せるのはあんただけや」と激励される
「魅せる将棋」を大切にし、既成の定跡にとらわれず「新手一生」を掲げ、常に序盤でのイノベーションを数多く起こした
振り飛車・居飛車共に数々の新手を指し、「将棋というゲームに寿命があるなら、その寿命を300年縮めた男」と評された
有名な新手には升田式石田流、雀刺し、急戦矢倉、棒銀、ひねり飛車、対ひねり飛車タコ金、角換わり腰掛銀升田定跡、駅馬車定跡、居飛車穴熊などがある
昭和20年、日本はGHQの占領下におかれることになった時、日本の伝統文化を色々禁止しよおうとした
例えば……歌舞伎
大部分の歌舞伎演目の上演禁止です
GHQは歌舞伎のテーマである義、忠、孝、仁、慈などが天皇制復活に繋がると考えた故の処置でした
日本を占領統治したGHQは、歌舞伎を危険な思想をあおるものだと解釈したのです
「忠臣蔵」に代表されるように、歌舞伎ではたびたび、忠誠心やあだ討ち・復讐といった、日本独特の封建主義的な考えが美しいものとして描かれています。
これに対し、GHQは、戦前の日本に戻ってしまうのではないか、と懸念し、歌舞伎の上演を一方的に禁止にしてしまったのです
更には……紅白歌合戦
「紅白歌合戦」の企画書をGHQに提出したのだが、なんと「不許可」という返答が返ってきた
しかもGHQは、「敗戦国日本が“合戦”の番組を作るとは何事か。軍国主義的である」と怒り狂っていたのだ
原因は、企画書の翻訳担当者が“合戦”をバトル(戦闘)と訳したことだった
戦勝国として奢りあがったアメリカの難癖以外の何ものでもない
それでも「バトルではなく、マッチ(試合)です。あなたの大好きなベースボールと同じですよ」とアメリカの担当官を必死で説得し、番組名を「紅白音楽試合」と変更することで、なんとか実現にこぎつけることができた
こんな時代背景の中当然将棋も禁止の対象にされようとしていた
そして、GHQの公聴会が開かれる事になり、その公聴会に日本将棋連盟が差し向けたのが舛田幸三だった
その時のGHQと舛田の問答が以下の通りです
結果、将棋は問題なしとされたのです
舛田が将棋の危機を救ったのです
そういうのは勝負師とはいわない、賭博師という
功を焦るな。
悲観するな。
もっと根を深く張るんだ。
根を深く張れ。
世にいう成功者の秘訣というのは、これじゃないかと思う。
これがプロの芸ということになるわけです。
そういうときは、かりに失敗しても、非常にいい経験というか、つぎの知恵になります。
ちょっと頭をなぜられてはポンとはずみ、指一本触れただけで転がる。
はずみそうではずまず、転びそうで踏みとどまるものを持っていなければ男ではない。
敢えて解説は着けません
“Don’t think. feel! It’s like a finger pointing away to the moon. Don’t concentrate on the finger, or you will miss all the heavenly glory.”