2018年1月4日、星野仙一氏が逝ったと言うニュースが目に飛び込んできた
現役時代も監督時代も気持ちを前面に出し戦ってきた男…
その姿は周りの選手やファンにも影響と感動を与えてきた
正に炎の男でした
間違いなく昭和の巨星であった
そして…
そんな星野氏に多大な影響を与えたは、苛烈な精神野球で名選手を育てた明大野球部“御大”島岡元監督である
1950年代から80年代にかけて明治大学野球部の「御大」として君臨した島岡吉郎元監督だ
座右の銘は“人間力”
ピンチを招いた投手にも、チャンスで打席に立った打者にも、命じる指令は「何とかせい!」のひとことだけ。
そして早朝4時過ぎから練習が始まり、試合にみじめな負け方をすれば「オマエなんか死んでしまえ!」とののしられる
今では考えられないような精神野球だが、この監督のもとからは多くの名選手がプロの世界にも送りこまれ、それぞれがどこかに島岡イズムを秘めてグラウンドに立っている
「オレは明治大学島岡学科卒業や」こう宣言しているのは楽天の星野仙一監督だった
この星野監督は日本ハム、ヤクルトで指揮を執った高田繁元監督とともに、島岡門下生の秘蔵っ子と言われている
ほとんどの部員が御大の鉄拳制裁の餌食となっている中で、この二人だけは一度も殴られたことがないという伝説の持ち主なのだ
ただ、星野監督は早大戦でナメた態度で試合に臨み1対8の大敗を喫した夜、大雨の中で数時間、パンツ一丁でグラウンドの神様に監督と一緒に土下座をさせられた経験がある
「最初はあほらしいと思ったけど、隣で頭をこすりつけて、顔中を泥だらけにしている御大の姿を見て、この人は本気できょうのオレの態度を神様に許しを請うている……と思った」本人は述懐している
そうして島岡イズムで育った星野監督も、鉄拳あり、激情あり、そして人情ありの選手操縦術でした