私事ではあるのですが…
自分が十数年使っている湯呑茶碗には山本五十六の名言が書いてあるんですよ
チョッと紹介しますね
男の修行
山本 五十六
苦しこともあるだろう
言いたいこともあるだろう
不満なこともあるだろう
腹のたつこともあるだろう
泣きたいこともあるだろう
これらをじっとこらえてゆくのが男の修行である
この文句が茶碗のまわりにグルッと書いてあるんですよ
では山本五十六とはどのような人物だったのでしょうか
>山本五十六は、井の中のカワズで日本が世界一だと思っていた当時の軍人の中で、世界情勢と日本の実力を認識していた数少ない軍人でした。
戦後、「オレもあの戦争には反対だった」という元軍人が沢山出てきましたが、いくら反対でも黙っていたら何にもならない
山本は日本の進路に関し明晰な意見を持ち、陸軍や右翼の暗殺の脅迫に負けずそれを堂々と表明しました東條などが強力に推進していた中国侵略にも反対していました。日本の為にならないと…
三国同盟にも反対、「あんなもの結んだらアメリカと戦争になる。そうなったら東京なんか三度くらい丸焼けにされて日本人は惨めな目を見るだろう」と。そしてその通りになりました
当時の日本政府・軍部(特に陸軍)のデタラメな政略・戦略には非常に不満で、日本の侵略拡大への警告としてアメリカが行った対日石油禁輸でうろたえ騒ぐ首脳部を批判して嶋田海軍大臣にこう書き送っています
「現政府のやり方はすべて前後不順なり。今さら米国の経済圧迫に驚き、憤慨し困難するなどは小学生が刹那主義にてウカウカと行動するにも似たり」と。
対米戦争には「負けるに決まった戦争するやつがあるか!」と強硬に反対山本は一般的な意味での平和主義、反戦主義ではなかったが、世界、日本がよく分かっていたので理性的、現実的な判断が出来ました
今から思うと恐るべき洞察力、先見の明の持ち主だったか…
しかし彼は当時既に政府の要職を離れて聯合艦隊司令長官。軍人として立派な地位でしたが所詮は実戦部隊の長。
戦争するかしないかは政府が決めることで、対米英戦争は陸軍大将の東條英機が総理大臣として認可したものです。
そしていよいよ開戦と決まると、親友の堀悌吉中将への手紙に「個人の意見と正確に正反対の決意を固め」 「大勢に押されて立ち上がざるを得ずとすれば、艦隊担当者としては到底尋常一様の作戦では見込み立たず、結局桶狭間とひよどり越えと川中島とを併せ行うのやむを得ざる羽目に追い込まれる」この様な覚悟であの戦争に臨んだ軍人はほかに見当たりません。東條などとは一枚も二枚も格が上の軍人でした
そして彼も天皇の兵士、やる以上は全力を尽くそうと、世界を驚倒させた空母機動部隊による航空機の大量集中使用で真珠湾攻撃という雄渾で斬新な作戦を行ったのです本人は開戦後二年もしないでソロモンの最前線で飛行機上で討ち死にしてしまい、戦争そのものも山本の予言通りの結果になりました山本があんなに反対した対米戦争を決めておいて、戦争の経過を山本の責任にする人がいますが、よく言われる真珠湾攻撃の最後通牒の遅れは山本五十六の責任ではなかった山本自身は何度も参謀に「最後通牒は攻撃前に相手に届く様になっているんだろうな」と念を押しています
しかし最後通牒や宣戦布告は政府の権限・責任です。遅れたのは外務省とワシントンの日本大使館の怠慢でした
もう一つ山本五十六の名言があります
やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、
ほめてやらねば、人は動かじ。あるいは、やって見せて、言って聞かせて、やらせて見て、
ほめてやらねば、人は動かず。~有名なこの言葉には次のような続きがあります~話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
人にものを教える事は決して簡単なことではありません
しかし、自分の信念と覚悟を以て職務に任ことをSprojectは肝に銘じております
坂本 享一
某証券会社に入社した後、フリーランスを経て家庭教師・塾講師を長年行っています。この度、『勉強が解かる喜び』をモットーにした家庭教師S-PROJECTをスタートさせました。
ビリヤードが好きな陽気なおっちゃんです。