君達はこれまで…
試験を受けてきて…
なんで自分が苦手としているところがでちゃうの…”(-“”-)”
ヤマはったところがでていない”(-“”-)”
ケアレスミスしてしまった”(-“”-)”
などなど…
いろいろな失敗をした経験をおもちでしょう?
「よりによって、なんでこうなるの?」という日常の「理不尽あるある」の集積ともいうべき「マーフィーの法則」だ
身につまされる法則の数々には、人生のユーモアとペーソスが漂う
ところが、マーフィーの法則を科学的に分析した結果によると、その多くは、運が悪いのでも、めったに起きないことでもなく、原因・法則にしたがって、一定の確率で誰にでも起こり得ることだという
その事実は、失敗をしたとき、それをどう捉えるか、失敗にどう向き合うかについて、大切なことを示唆している
理不尽な目に遭うのは不運だから?
トーストが落下するとき、バターを塗った面が下になるのはなぜ?
「マーフィーの法則」の典型例の1つに、「トーストが落下するとき、バターを塗ってある面が下になる」という現象
その原因はなんだ
バターを塗った面はバターの分だけ重いからだと考える人が多いようですが、そうではない
トースト全体の重さが35gとすると、バターの重さは4gでわずかですし、バターはトーストの表面に薄くすりこまれてしまうため、トーストの回転にはほとんど影響を与えない
この問題について、多くの科学者はバターを塗った面が下になることも上になることも同じ50%の確率で、無作為に起こると考えた
この問題に一石を投じたのは、物理学者のロバート・マシュー博士
彼は、このバタートースト問題に果敢に挑み、詳細な計算を行った
長方形の薄い板の質量と台の高さをさまざまに設定し、板がかろうじてテーブルに載っている状態にまで重心を移し、それを初期状態として、そこから床に落ちるまでの様子を力学的な観点から詳細に分析したのだ
その結果わかったのは、さまざまな条件下で、バターを塗った面が下になる傾向があるということだった
マーフィーの法則とは、いわば「めったに起こらない不運なできごとが、よりによって自分に起こってしまった」という現象だ
しかし、実際には、およそあり得ないと思うような出来事が起こる確率は想像以上に高いと数学者のD. J. ハンド博士は言いった
一見奇妙な偶然の一致と思える出来事も、確率からすればさほど奇妙なことではない
「絶対ない」 は絶対ない、と。 博士はそれを「あり得なさの原理」と呼んだ
失敗を受け入れる
君達にもさまざまな失敗が起こる
その際、失敗をどう捉え、失敗にどう向き合ったらいいか…?
「あり得なさの理論」から学べるのは、何か思わしくないことが起こったとき、それは不運なのではなく、起こるべくして起こったと捉えた方がよさそうだということだ
私たちは好ましくないことに接すると、「なんでよりによって」と思いがちですが、出来事には原因・理由があり、同じような出来事が思ったより頻繁に起こっている可能性がある
誰にとっても、自分の失敗を認めるのは難しいものです。 仕事など自分の人生にとって重要なことで失敗を認めるのはことさらに難しい
何かミスを犯して自尊心や職業意識が脅かされると、心穏やかではいられなくなり、頑なに心を閉ざしてしまう
私たちは他人からだけでなく、自分自身からも自分を守るために、失敗を隠そうとする
失敗を不名誉なものと捉える傾向がある
しかし、失敗したときには、それを不運のせいにせず、そのことを受け入れて失敗に誠実に向き合うという態度が望ましいということを、マーフィーの法則を巡る科学的論証が教えてくれている
失敗は悪いことではなく、失敗こそが学びのチャンスだと失敗を肯定的することが必要だ
それは自分たちの成長に欠かせない要素であると考えていることだ
されど、マーフィーの法則
マーフィーの法則は人生の側面を鮮やかに切り取ってみせ、「あるある」と私たちの共感を集めた
そのマーフィーの法則をめぐる科学的な論証から思わぬ別の側面がみえてきた
それをフックに、勉強・試験での失敗について考えると、案外多くの気づきに恵まれます。
されど、マーフィーの法則。 そこには想像以上に豊かな世界が秘められているのかもしれない
最後に…
最初に述べた君たちが経験したであろう失敗について…
試験に臨むにあたって
試験にヤマを張る自体…論外
理解不足を解決することなく試験に臨むこと自体…論外
ケアレスミス…余裕があればどうだったか…
君達は本番で失敗しないために多くの失敗を自分自身の糧にしていく事が一番大事だと言う事だ